え~そういうワケで(どういうワケだ?)、
「水族館ナイト」の第4弾に行ってきました。
詳しい内容に関しては、
誰かがどこかで書いてくれると思うので、
ここでは書きません(他力本願寺♪)。
ですが、
「わざわざ新潟から来た甲斐があった」
内容であったコトは間違いありません。
(心から言えます!)
以下、何故私がそこまで思ったのか、
後から忘れないためにも書き留めておきます。
◇ ◇ ◇
ちょっと前にトンデモ本の世界Wという本を
読んだんですけど、その中に
非常に気になる文章がありました。
「あるSF小道具考」という文章で、
藤倉珊さんという方が書かれています。
(278ページから)
たぶんアーサー・C・クラーク追悼という
意味も込めて書かれたんだと思うんですけど、
それに関してはまぁ置いておきます。
文章の内容を要約すると…
・「幼年期の終り」の原型となった「守護天使」という短編がある
・「守護天使」には“一方向光透過物質”が出てくるけど、
「幼年期の終り」には出てこない
・作品が書かれた当時、
“一方向光透過物質”は発見されていなかったので、
クラークが無用の誤解を読者に抱かせぬよう、
変更したものと思われる
・が、昨年になって“一方向光透過物質”が発見された
・理系を出て中途半端に物理を学んだ人のほうが、
そのような物質は「ありえない」と思い込みやすい
最後のまとめの部分は極めて重要なので、引用します。
このことは超技術あるいは超常現象を考えるときの重要な教訓を示す事例と思える。それは、未知の超技術に対する人々の姿勢である。
物理的には否定しきれない現象でも、これまで全く知られておらず、また経験的に一〇〇パーセントありえないように感じる場合、否定してしまうことがあるのではないか。
その時点で何の確証もない現象を考えることはなんら役に立たないので、人々はそれを思考の外に置いてしまう。さらに初めから思考の外におかれた事象は、思考の外であることにも気がつかないままにされるのではないだろうか。
◇ ◇ ◇
昨夜の荒俣さんのお話は、
人魚や河童の図画から始まりました。
水族館を語る時に、その出発点を
人魚や河童にするというのは、
(私のような)フツーのマニアや
多くの現場の方々にとって、
思考の外だったのではないでしょうか?
何か新しいモノを創ろうとする時には、
全く別の、それこそ思考の外にある場所を
出発点にしなければならないのかもしれない。
そんなコトを思った2時間15分でありました。
<おまけ>

これは屋島山上水族館(当時)にあった“ニンゲンウオ”。
「ニンゲンウオ/メキシコ産
サカタザメの仲間を乾燥させて作ったもので、
人が立っている姿によく似ています。」
2002年5月撮影。
新屋島水族館では展示されていなかったです。
「水族館ナイト」の第4弾に行ってきました。
詳しい内容に関しては、
誰かがどこかで書いてくれると思うので、
ここでは書きません(他力本願寺♪)。
ですが、
「わざわざ新潟から来た甲斐があった」
内容であったコトは間違いありません。
(心から言えます!)
以下、何故私がそこまで思ったのか、
後から忘れないためにも書き留めておきます。
◇ ◇ ◇
ちょっと前にトンデモ本の世界Wという本を
読んだんですけど、その中に
非常に気になる文章がありました。
「あるSF小道具考」という文章で、
藤倉珊さんという方が書かれています。
(278ページから)
たぶんアーサー・C・クラーク追悼という
意味も込めて書かれたんだと思うんですけど、
それに関してはまぁ置いておきます。
文章の内容を要約すると…
・「幼年期の終り」の原型となった「守護天使」という短編がある
・「守護天使」には“一方向光透過物質”が出てくるけど、
「幼年期の終り」には出てこない
・作品が書かれた当時、
“一方向光透過物質”は発見されていなかったので、
クラークが無用の誤解を読者に抱かせぬよう、
変更したものと思われる
・が、昨年になって“一方向光透過物質”が発見された
・理系を出て中途半端に物理を学んだ人のほうが、
そのような物質は「ありえない」と思い込みやすい
最後のまとめの部分は極めて重要なので、引用します。
このことは超技術あるいは超常現象を考えるときの重要な教訓を示す事例と思える。それは、未知の超技術に対する人々の姿勢である。
物理的には否定しきれない現象でも、これまで全く知られておらず、また経験的に一〇〇パーセントありえないように感じる場合、否定してしまうことがあるのではないか。
その時点で何の確証もない現象を考えることはなんら役に立たないので、人々はそれを思考の外に置いてしまう。さらに初めから思考の外におかれた事象は、思考の外であることにも気がつかないままにされるのではないだろうか。
◇ ◇ ◇
昨夜の荒俣さんのお話は、
人魚や河童の図画から始まりました。
水族館を語る時に、その出発点を
人魚や河童にするというのは、
(私のような)フツーのマニアや
多くの現場の方々にとって、
思考の外だったのではないでしょうか?
何か新しいモノを創ろうとする時には、
全く別の、それこそ思考の外にある場所を
出発点にしなければならないのかもしれない。
そんなコトを思った2時間15分でありました。
<おまけ>

これは屋島山上水族館(当時)にあった“ニンゲンウオ”。
「ニンゲンウオ/メキシコ産
サカタザメの仲間を乾燥させて作ったもので、
人が立っている姿によく似ています。」
2002年5月撮影。
新屋島水族館では展示されていなかったです。
